病理形態診断は,通常,ホルマリン固定パラフィン包埋(formalin fixed paraffin embedded;FFPE)検体を用いたヘマトキシリン・エオジン(HE)染色標本で行われる。蛋白の発現や局在,リン酸化レベルを検出するための免疫組織化学法(IHC法),mRNAの発現や局在,染色体異常,遺伝子増幅・相互転座を検出するためのin situ hybridization(ISH)法にも,FFPE検体が使用される。また,FFPE検体から抽出した核酸溶液からは,遺伝子異常の検索やmRNAの定量・発現の解析も可能で,FFPE検体はOncotype DXなどの多遺伝子アッセイにも用いられている(乳癌診療ガイドライン①治療編2018年版,薬物FQ4参照)。これらの診断・検査の流れは,① 解析前段階(pre―analytical),② 解析段階(analytical),③ 解析後段階(post―analytical)の3工程に分類される。解析前段階には,患者から採取された生検検体や手術材料のホルマリン固定,パラフィン包埋,薄切,未染標本作製を行うまでの工程が含まれる。本項では,臨床医が精通すべき解析前段階について,多数・多種類の臓器を区別なく取り扱っている一般的な病理検査室での注意事項を基本に,乳癌の病理診断や遺伝学的検査のために必要な事項を補足して述べる1)~5)。
1)採取から固定まで
患者から採取された生検検体や手術材料は,乾燥や核酸・蛋白変性を防ぐ観点から,速やかに十分量(検体容積の約10倍を基準にし,大きい検体でも可能な限りの最大量)の新しいホルマリン系固定液を用いて固定を行うことが推奨されている。固定までの時間は,American Society of Clinical Oncology/College of American Pathologists(ASCO/CAP)のHER2検査ガイドラインでは1時間以内を推奨している。固定するまでの時間の遅れは,核酸・蛋白質の質を極端に低下させ,HE染色標本での形態所見,IHC法およびISH法の結果,いずれにも影響を与える。検体採取から固定までに時間がかかる場合は,ライソゾームなどの蛋白分解酵素による組織融解を防ぐために冷蔵庫に一時保存する必要があるが,長時間の保存は避けるべきである。少なくとも摘出臓器を30分以上室温で保持することは極力回避し,直ちに固定を行えない施設であっても摘出臓器は冷蔵庫(4℃)等に保管し,3時間程度以内に固定を行うことが望ましい。また組織に対するホルマリン浸透は1時間あたり1 mm程度とされ,大きな切除検体では腫瘍部にホルマリンが到達するまでに時間を要する。検体中心部の固定不良はIHC法の染色性低下,不均一性の一因ともされ,腫瘍部分の検体を別取りして固定を行うか,腫瘍部近傍に割を入れたりすることで,速やかに腫瘍部の固定を行う必要がある。石灰化病変や小型腫瘤等の非触知病変,あるいは生検や薬物療法などにより腫瘍の存在部位が不明瞭になった場合は,別取りは難しく,そのまま固定せざるを得ない。その際には,病変のサンプリングエラーを防ぐために,切除標本において想定される腫瘍の直上部位に糸やインクでマーキングするかクリップ挿入等をしておくと,病変の見落としを防げ,その後の病理検討が容易になる。
固定液に関しては,種々のガイドラインで蛋白抗原性・遺伝子保持の点から10%中性緩衝ホルマリンが推奨され,アルコール,アセトンなどホルマリン以外の固定液の使用は不可とされている。ホルマリン濃度の低いzinc(Zn)formalinや非ホルマリン固定液などでも10%中性緩衝ホルマリンと同等の結果が得られるという報告もあるが,ホルマリンの濃度,pHによってさまざまな結果となるという報告もあり,現状では推奨されていない。ASCO/CAPのHER2検査ガイドラインには,10%中性緩衝ホルマリン以外の固定液を使用する場合は,施設内で10%中性緩衝ホルマリンを用いた場合との比較検討が必要であると記載されている。
ASCO/CAPのHER2検査ガイドラインでは,推奨されるホルマリン固定時間は6~72時間である。推奨時間の逸脱許容範囲としては,96時間まで,あるいは固定時間が7日であってもIHC法に有意な染色性低下はないという報告や,FISH法に関しても7日までの固定時間ではシグナル減弱はないとする報告が存在する。ただし,これらは強陽性を示した検体を材料として染色性やシグナルの減弱を検討したもので,中等度陽性や弱陽性検体に固定時間の違いがどの程度の影響を与えるかの検証は不十分である。最短の固定時間に関しては6時間未満の検討も複数なされており,特に針生検検体に関しては個々の抗原に関して短時間固定の影響はないとする報告がある。しかしながら一部の症例には染色性の減弱もみられ,ASCO/CAPガイドラインでは短時間の固定は推奨していない。遺伝学的検査は,病理診断で使用したFFPE検体でも施行される。FFPE検体は病理診断後も長期間保存されていることが多く,後向きに検査を行うことが可能である。新たな検査が開発されるたびに組織を採取する必要がなくなるなど,患者にとっても利点は多い。近年、次世代シークエンサー等を用いた遺伝子パネル検査が開発され、がんゲノムプロファイル検査として承認されたが、用いる検体はFFPE検体である。一方,FFPE検体を用いた遺伝学的検査では,ホルマリン固定処理による組織中のDNAの断片化や核酸塩基の化学修飾が知られており,検出不能となる場合がある。これらの変化の程度もホルマリンのpH,固定時間,固定温度の影響が大きい。遺伝学的検査を行う場合は,10%中性緩衝ホルマリンを使用した48時間以内の固定が推奨されている。ただし,3日以内であれば核酸等のかなり良好な保持が期待できるとされている。また骨転移巣や骨化を伴う腫瘍組織に対して酸脱灰処理を行うと、核酸の断片化が進み、遺伝学的検査に適さない検体となる。そのため酸脱灰処理を行わない腫瘍組織を一部確保し、FFPE標本とすることが望ましい。さらに,FFPE検体では長期保存によりDNA,RNAの劣化が進行する。薄切後のブロックについては、組織の酸化防止のため、表面に一定厚のパラフィンコーティングを行う、高温多湿での保管を避けるなど、細心の管理が望まれる。信頼性の高い遺伝学的検査を行うためには,作製後3年以内のFFPE検体を使用することが望ましいとする報告がある。上記の手順は自施設の病理部門との密な連携が必要である。他施設に依頼する場合でも,固定前時間の短縮・処理と適切な固定液の選択は自施設内で可能であり,その後の手順に関しては連携先の病理部門と協議,確認することが望ましい。
2)パラフィン包埋から未染標本作製まで
IHC法は,FFPE検体を4μmに薄切した標本を用いることが推奨されている。切片の厚さは染色強度に影響を及ぼすため,推奨される一定の厚さでの標本作製が望ましい。薄切後の未染色標本は,室温保管により経時的に染色性が低下することが知られている。一定期間未染色標本を保存する際には4℃で保管すべきとも考えられており,少なくとも直射日光への曝露等極端な悪条件は避けるべきである。ASCO/CAPのHER2検査ガイドラインでは,最長でも室温保存での6週間以内の染色を推奨しており,薄切標本作製後は可能な限り速やかに検査を行うべきである。
一方、がんゲノムプロファイル検査では、原則として4-5μmに薄切した標本を10枚、あるいは10μmに薄切した標本を5枚用いる。検査にあたり、腫瘍が一定の表面積を占めること(例、Foundation One ®CDx では25mm2)、検体中の全有核細胞における腫瘍細胞の割合が最低でも20%以上に調整可能であることが求められている。リンパ球や間質細胞などの非腫瘍細胞の比率の低い腫瘍組織が含まれる標本をHEスライドで確認し、適切な標本を選択することが重要である。
3)精度管理
病理検査室の現状を把握するため,日本病理学会認定施設および日本乳癌学会認定/関連施設の321施設を対象に,2011年,日本病理学会精度管理委員会がアンケート調査を行った。その調査結果によると,10%中性緩衝ホルマリンを使用している施設は半数程度で,それ以外の施設では10%あるいは20%非緩衝ホルマリン,20%中性緩衝ホルマリンなどが使用されていた。また,切除検体の長時間放置(delay fixation)やホルマリン長時間固定を行っている施設も存在していた6)。2014年に実施された呼吸器領域検体に関する日本病理学会精度管理委員会のアンケート調査でも,10%中性緩衝ホルマリンを使用している施設は51%にとどまっている7)。
FFPE検体を用いた検査結果は,解析前の検体の取り扱い方法に大きく左右される。検体採取段階から品質劣化を防ぐ意識が重要である。また,各施設における内部精度管理および各施設の精度を外部から管理・保証する外部精度管理が重要である。近年,日本病理学会から病理組織検体の取り扱い方に関して「ゲノム研究用病理組織検体取扱い規程」「ゲノム診断用病理組織検体取扱い規程」が発表され,病理検査の外部精度管理を目的として特定非営利活動法人日本病理精度保証機構(http://jpqas.jp/)が設立された。機構に関しては日本乳癌学会も正会員となっており,今後の活動が期待される。
参考文献
1)Hammond ME, Hayes DF, Dowsett M, Allred DC, Hagerty KL, Badve S, et al;American Society of Clinical Oncology;College of American Pathologists. American Society of Clinical Oncology/College of American Pathologists guideline recommendations for immunohistochemical testing of estrogen and progesterone receptors in breast cancer(unabridged version). Arch Pathol Lab Med. 2010;134(7):e48―72. [PMID:20586616]
2)Wolff AC, Hammond ME, Hicks DG, Dowsett M, McShane LM, Allison KH, et al;American Society of Clinical Oncology;College of American Pathologists. Recommendations for human epidermal growth factor receptor 2 testing in breast cancer:American Society of Clinical Oncology/College of American Pathologists clinical practice guideline update. Arch Pathol Lab Med. 2014;138(2):241―56. [PMID:24099077]
3)日本病理学会.乳癌HER2病理診断ガイドライン.http://pathology.or.jp/side/pdf/breastcancerHER2_151208.pdf
4)日本病理学会.ゲノム研究用病理組織検体取扱い規程.http://pathology.or.jp/genome/
5)日本病理学会.ゲノム診療用病理組織検体取扱い規程.http://pathology.or.jp/news/pdf/genome_kitei_170915.pdf
6)日本病理学会精度管理委員会. 乳癌の免疫染色(ER, PgR, HER2)に関する精度管理システム確立のための検討(2010年~2016年). http://pathology.or.jp/committee_qualityassurance/_downloadpdf/qares2010-13_nyugan_2chosakekka.pdf
7)羽場礼次,大林千穂,畑中 豊,増田しのぶ;日本病理学会精度管理委員会. 呼吸器領域・細胞診に関するアンケート調査と課題. http://pathology.or.jp/committee_qualityassurance/_downloadpdf/qares2014-15_kokyuki_3chousakekka.pdf