A.分子標的治療薬は,がん細胞に特有の標的分子をねらい撃ちすることで,効果を示す薬剤です。乳がん細胞のタンパク質や遺伝子の変化でその標的があることを確認して使用しますが,薬によっては,その対象がはっきりしなくても効果が期待できる場合もあります。抗がん薬治療と比較して,副作用がほとんどないと考えられがちですが,実際にはそれぞれの薬剤に特有のさまざまな副作用があり,注意が必要です。
解説
分子標的治療薬とは
がん細胞は,正常細胞と違い際限なく増殖し続けますが,増殖するのに必要な特有の因子があります。これらの因子をねらい撃ちする治療を「分子標的治療」,それに用いられる薬を「分子標的治療薬」といいます。
一般的な抗がん薬は,がん細胞も正常細胞もどちらも攻撃するため,正常細胞の中で増殖が盛んな細胞,例えば髪の毛や消化器の細胞などが影響を受け,脱毛や吐き気といった副作用が起こります。分子標的治療薬は,がん細胞だけをピンポイントでねらい撃ちし,大きな副作用を出さずにがんを抑える効果が期待されていましたが,抗がん薬とは違うさまざまな副作用が出現することがわかってきました(☞Q48参照)。
抗HER2(ハーツー)薬
抗HER2薬は,HER2タンパクをもっているがん細胞にのみ効果を発揮しますので,組織を調べて患者さんの乳がん細胞にHER2タンパクがある場合(HER2陽性=がん細胞が「IHC法で3+」または「FISH法,DISH法などで陽性」)に使用します。乳がんの患者さんの5~6人に1人くらい(15~20%)がHER2陽性です。
代表的な抗HER2薬を以下にお示しします。
(1)トラスツズマブ(商品名ハーセプチン),ペルツズマブ(商品名パージェタ)
トラスツズマブとペルツズマブはどちらも,HER2タンパクにくっつくことでHER2タンパクの働きを阻害し,がん細胞の増殖を抑える薬です。ペルツズマブは単独で使われることはなく,トラスツズマブと併用します。ペルツズマブを併用することで重篤な副作用が増えるということはありません。手術前後にトラスツズマブか,トラスツズマブ+ペルツズマブを抗がん薬と組み合わせる治療を行うことで,再発する危険性が半分近くに抑えられます。アンスラサイクリン系薬剤とトラスツズマブやペルツズマブを同時に使用すると,心臓への副作用が増すので通常は避けます。抗がん薬を使わずにトラスツズマブやペルツズマブだけを投与する方法については効果が確かめられていません。トラスツズマブやペルツズマブを手術後や手術前後に使用する場合は,全体で約1年間の投与になるように実施します。
HER2陽性の進行・再発乳がんの患者さんも抗HER2薬の対象となります。トラスツズマブやペルツズマブは,原則抗がん薬と一緒に使います。ときに年齢や体調を考えてトラスツズマブを単独で使用する場合もあります。トラスツズマブと一緒に使う抗がん薬には,タキサン系薬剤(パクリタキセル,ドセタキセル)を第一に考えます。これらの効果がなくなった場合は,別の抗HER2薬を使用したり,トラスツズマブと併用する抗がん薬を変更します。使用する抗がん薬には,ビノレルビン(商品名 ナベルビン),エリブリン(商品名 ハラヴェン),カペシタビンなどがあります。
トラスツズマブの重要な副作用として心臓機能の低下(100人に2~4人くらい)や呼吸器障害があります。このため,治療前と治療中は定期的な心臓機能検査が勧められています。多くの患者さんにみられる副作用は発熱と悪寒で,約40%の患者さんに,トラスツズマブ初回投与後24時間以内(多くは8時間以内)に起こりますが,ほとんどは初回のみで2回目以降に起こることはまれです。この薬を単独で使用する場合は,通常,脱毛や吐き気はまずありません。
(2)トラスツズマブ エムタンシン(商品名 カドサイラ)
トラスツズマブ エムタンシンは,トラスツズマブにエムタンシンという抗がん薬をくっつけた薬剤です。トラスツズマブ+タキサンでは効果がみられなくなった転移乳がんに対して使用すると,ラパチニブ+カペシタビンと比較して生存期間が延長されることがわかったため,トラスツズマブ エムタンシンを先に使います。主な副作用は,吐き気,嘔吐,下痢などの消化器症状や,疲労感,肝機能障害,血小板減少です。
(3)ラパチニブ(商品名 タイケルブ)
ラパチニブはHER2陽性乳がんに有効で,トラスツズマブ,ペルツズマブと抗がん薬の併用療法とトラスツズマブ エムタンシンが効かなくなった再発患者さんに使用を検討します。ラパチニブは飲み薬で,カペシタビンと同時に使用します。HER2陽性かつホルモン受容体陽性の場合は,レトロゾールと併用することで効果が認められることがあります。主な副作用は下痢と発疹で,脱毛や吐き気はありません。
血管新生を標的にする薬
ベバシズマブ(商品名 アバスチン)
ベバシズマブは,がん細胞に栄養や酸素を運ぶ新しい血管がつくられるのを妨ぐことにより,がん細胞を兵糧(ひょうろう)攻めにすると考えられる分子標的治療薬で,「血管新生阻害薬」とも呼ばれます。ベバシズマブは,再発した乳がん患者さんにのみ使用できます。ベバシズマブは2週間に1回点滴し,抗がん薬(パクリタキセル)と一緒に使うことで,がんが小さくなる効果を高め,がんの進行を遅らせます。正常な組織にも働いてしまうので,高血圧,たんぱく尿,粘膜からの出血(鼻血,歯ぐきからの出血),白血球の減少などの副作用が増えます。そのため,メリットがデメリットを上回る患者さんを慎重に選んで使用する必要があります。
骨転移に使用する分子標的治療薬
デノスマブ(商品名 ランマーク)
デノスマブは骨転移した場所で骨を壊す細胞の働きを弱める効果があります。骨折や痛みの出現のリスクを下げることが認められています。重要な副作用として顎骨壊死があるので,治療開始前に歯科を受診し,必要な歯科治療を行っておくことが必要です。また,低カルシウム血症を防ぐために,カルシウムとビタミンD3とマグネシウムの配合剤(商品名 デノタス)を内服します。
転移・再発乳がんでホルモン療法と併せて使う分子標的治療薬
(1)パルボシクリブ(商品名 イブランス)
パルボシクリブは,腫瘍の増殖に関連する細胞周期を促進する働きをもつCDK4とCDK6を阻害する分子標的治療薬です。ホルモン受容体陽性HER2陰性の転移・再発乳がんに対して,アロマターゼ阻害薬やフルベストラントなどのホルモン療法薬と同時に使うと,ホルモン療法薬だけを使用した治療よりがんの進行を遅らせることができます。最も重要な副作用は好中球減少症であり,定期的な採血によるチェックと適切な薬の減量や休薬が必要となることがあります。そのほか疲労感や脱毛が起こることもあります。
(2)アベマシクリブ(商品名 ベージニオ)
アベマシクリブは,パルボシクリブと同様にCDK4とCDK6を阻害する分子標的治療薬です。ホルモン受容体陽性HER2陰性の転移・再発乳がんに対して,アロマターゼ阻害薬やフルベストラントなどのホルモン療法薬と併用することで,パルボシクリブとほぼ同様の効果が得られます。副作用は,パルボシクリブと異なり,血液毒性が少なく下痢の頻度が高いといわれています。
(3)エベロリムス(商品名 アフィニトール)
エベロリムスは,腫瘍の増殖に関連する伝達経路にかかわるmTOR(エムトール)タンパクの働きを阻害する薬です。アロマターゼ阻害薬のエキセメスタンと同時に使うと,がんの進行を遅らせます。一方で,正常な細胞にも働いてしまうため副作用は増えます。主な副作用は,口内炎,貧血,呼吸困難,高血糖,疲労感,非感染性肺炎,肝酵素の上昇などです。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群に対する分子標的治療薬
オラパリブ(商品名 リムパーザ)
オラパリブは,DNAの一本鎖DNA修復にかかわるPARP(パープ)という分子を阻害する薬剤(PARP阻害薬)です。BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異のある遺伝性乳がん卵巣がん症候群の場合,発生した腫瘍では二本鎖DNA修復機構が欠失していることがわかっています。その腫瘍に対してPARP阻害薬を使用すると一本鎖DNA修復も阻害され,DNA損傷が修復されず,がん細胞は死に至ります。HER2陰性の転移・再発乳がんを対象とした臨床試験では,標準治療として使用される抗がん薬と比較してオラパリブは進行を遅らせる効果が認められました。オラパリブを使用する際には,患者さんの血液を使ったBRCA1/2遺伝子検査により,BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異があることを確認する必要があります。
免疫シグナルをコントロールする分子標的治療薬
免疫は体の中の異物を除去するのに有効な仕組みですが,がんを攻撃する免疫細胞のPD-1(ピーディーワン)と,がん細胞が出しているPD-L1(ピーディーエルワン)がくっつくと,免疫細胞ががん細胞を攻撃できなくなることが知られています。この機構を京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)先生が解明し,2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
免疫チェックポイント阻害薬は,がんを攻撃する免疫反応にブレーキをかけてしまうPD-1あるいはPD-L1にくっついて,そのブレーキを外し,弱まっていた免疫細胞の働きを強めて,がん細胞を制御します(図1) 。
図1 免疫チェックポイント阻害薬の働き
アテゾリズマブ(商品名 テセントリク)
アテゾリズマブは,PD-L1を標的にする薬で,PD-1とPD-L1の結合により弱められていたがんに対する免疫細胞の力を取り戻す作用があります。
肺がんに対しては日本でもすでに使用されている薬剤ですが,2019年5月時点では乳がんに対しては未承認のため,適応となる乳がんのタイプは正確には決まっていません。乳がんに対しては,ナブパクリタキセル(商品名 アブラキサン)という抗がん薬と一緒に使用していく予定です。
アテゾリズマブは免疫にかかわる薬なので,抗がん薬とは副作用が違います。甲状腺機能低下や下垂体機能障害,間質性肺炎,1型糖尿病などが起こることがあるため,呼吸器内科や内分泌内科など,さまざまな専門科とよく連携しながら治療をしていく必要があります。