A.初期治療は,病状や患者さんの希望に合わせて最適な局所治療と全身治療を組み合わせ,乳がんの再発を抑え,乳がんを完全に治すこと(治癒)を目的とします。
解説
初期治療とは
乳がんと診断され,最初に受ける治療を「初期治療」と呼びます。「初期治療」というのは,他の臓器への転移(遠隔転移)がない乳がん患者さんの治療として,すでに起こっているかもしれない微小転移を根絶し,乳がんを完全に治すこと(治癒)を目指すものです。初期治療には,手術,放射線療法といった局所治療と,化学療法(抗がん薬治療),ホルモン療法(内分泌療法),抗HER2療法(分子標的治療)などによる全身治療が含まれます。
乳がんと診断されると,大急ぎで治療を開始しないと乳がんが広がってしまうのではないかと心配されるお気持ちはよくわかります。しかし,1cmの乳がんのしこりの中には約10億個もの乳がん細胞が含まれており,乳房の中に1個のがん細胞が生じてから1cmのしこりになるまでに,おそらく何年もの時間が経っていると考えられています。乳がんと診断されても,慌てず,まずはがんの性格や広がりを正しく評価し,最も適した初期治療を落ち着いて選択することが大切です。
治療の考え方
(1)正しい診断の重要性
最適な治療方針を決めるためには,正しい診断が不可欠です。乳がんかどうかという診断だけではなく,その性格や広がりを評価するために,非浸潤(ひしんじゅん)がんなのか浸潤(しんじゅん)がんなのか,ホルモン受容体やHER2の状況,がんの悪性度(グレード)は何か(☞Q30参照),腋窩(えきか)リンパ節転移はあるのか,進行度(病期,ステージ)はどうか,などを診断することが重要です。これらの情報は,治療を進めながらわかってくる場合もあります。また,糖尿病や心臓病などの併存症(乳がんの発症とは関係なくもっている病気)の有無,年齢などからみた全身状態,患者さん自身の治療に関する希望なども考慮して治療方針を決めます。
(2)微小転移の考え方
乳がんは,骨,肺,肝臓,脳などに転移することがあります。乳がんがしこりとしてみつかったときに,またはみつかる前から,すでにからだのどこかにがん細胞が微小転移の形で存在すると考えられています。このような微小転移が分裂・増殖し,1cm前後の大きさになると,CT,MRIやPET-CT,骨シンチグラフィなどの画像診断で遠隔転移としてみつかるようになります。
微小転移はしばしばタンポポの種に例えられます。タンポポの種は,風に吹かれて遠くの土地まで飛んでいき,発芽に適した場所で芽を出しますが,芽を出して花を咲かせるまではみつけることはできません。それと同じように乳がんと診断された時点ですでに,微小転移が存在する場合があります。微小転移があるかどうかは,乳がんの性質(☞Q30参照)や発見された時期により異なります。微小転移を伴う確率は腫瘍の大きさや腋窩リンパ節転移の有無や程度,悪性度(グレード)など,さまざまな検査結果から推定します。
乳がんの病期(ステージ)
乳がんの病期(ステージ)はしこりの大きさや乳房内での広がり具合,リンパ節への転移状況,他の臓器への転移の有無により分類されます 表1 。
治療の流れ
(1)非浸潤がん(ステージ0)
非浸潤がんは,がん細胞が乳管・小葉の中にとどまる乳がんで,適切な治療を行えば,転移や再発をすることはほとんどないと考えられます(☞Q30参照)。腫瘍の範囲が小さいと考えられる場合には,乳房温存手術あるいは乳房温存手術とセンチネルリンパ節生検を行い,術後放射線療法を行います。また,非浸潤がんが広い範囲に及んでいる場合には,乳房全切除術が必要になります。非浸潤がんであれば,微小転移を伴う可能性はとても低いと考えられるため,多くの場合,術後に薬物療法は必要ありません。ホルモン受容体陽性乳がんの場合には,乳房温存手術後にタモキシフェンを5年間内服するという選択肢もあります。
(2)浸潤がん
浸潤がんは,乳管・小葉の周囲にまで広がった乳がんを指します(☞Q30参照)。乳がんと診断される場合,約80%以上は浸潤がんです。
▶ステージⅠ~ⅢA
①腫瘍が比較的小さい場合
腫瘍の大きさが比較的小さく,広い範囲に石灰化が広がっていないような場合には乳房温存手術が可能です。腫瘍が乳頭に近くても乳房温存手術ができることもあります。乳房温存手術を選択した場合には,原則として術後放射線療法が必要です。必要に応じて術後薬物療法を行います。
②腫瘍が比較的大きい場合
◦手術→術後薬物療法
腫瘍が比較的大きく,温存手術が困難であると考えられる場合,乳房全切除術を行います。ステージIでも,マンモグラフィで広い範囲に石灰化が認められたり,CTやMRIで乳房内にがんが広く広がっていると考えられる場合には乳房全切除術を行います。
◦術前薬物療法→手術
腫瘍が大きいため,そのままでは乳房温存手術ができない場合でも,術前に薬物療法を行い,腫瘍が小さくなれば乳房温存手術が可能になる場合があります。術前薬物療法でどの薬剤を選択するかは,基本的には次項④の術後薬物療法での考え方と同じです。HER2陽性の場合には,抗HER2薬〔トラスツズマブ(商品名ハーセプチン),ペルツズマブ(商品名パージェタ)〕と化学療法を併用する治療を含め,全体で6カ月程度継続します。トリプルネガティブの場合には,化学療法を6カ月程度継続します。また,ホルモン受容体陽性の場合でも化学療法が選択されますが,閉経後の患者さんではアロマターゼ阻害薬を内服する術前ホルモン療法が可能な場合もあります。術前化学療法についてはQ20を参照してください。
③腋窩リンパ節の切除
手術前に明らかな腋窩リンパ節転移が認められる場合には,腋窩リンパ節郭清(かくせい)が必要です。一方,腫瘍の大きさにかかわらず,手術前の検査で明らかな腋窩リンパ節転移がない場合には,センチネルリンパ節生検を行います。センチネルリンパ節に転移がなければ,腋窩リンパ節郭清は省略できます。センチネルリンパ節に転移がみつかった場合には,転移の大きさや転移リンパ節の個数などにより,腋窩リンパ節郭清の必要性を吟味しますが,最近では一定の条件を満たせば郭清を省略することも可能になってきました(☞Q24参照)。また,腋窩リンパ節転移が陽性の場合,乳房全切除後でも術後放射線療法を行うことがあります(☞Q33, 35参照)。
④術後薬物療法の選択
◦ホルモン療法(内分泌療法):ホルモン受容体陽性の場合,ホルモン療法を行います(☞Q51, 52参照)。
◦抗HER2療法(分子標的治療):HER2陽性の場合,トラスツズマブやペルツズマブによる抗HER2療法を行います(☞Q50参照)。
◦化学療法(抗がん薬治療):化学療法を行うかどうかについては,進行度や悪性度(グレード),HER2,ホルモン受容体の状況など,乳がんの性質によって異なります(☞Q38, 46, 47参照)。
ⅰ)HER2陽性乳がんの場合,ほとんどの患者さんで抗HER2薬(トラスツズマブ,ペルツズマブの両方もしくはトラスツズマブ)による治療を行います。アンスラサイクリン系薬剤やタキサン系薬剤などの抗がん薬と組み合わせて投与します。
ⅱ)エストロゲン受容体やプロゲステロン受容体,HER2のいずれも陰性の乳がん,すなわちトリプルネガティブ乳がんの場合は化学療法を行う必要があります。ただし,ホルモン受容体陰性・HER2陰性となりやすい腺様囊胞(せんようのうほう)がん(☞Q31参照)や,腫瘍径が小さい場合など再発のリスクが低いと考えられる場合には化学療法を行わないこともあります。
ⅲ)ホルモン受容体陽性,HER2陰性の場合には,ホルモン療法を行います。がん細胞全体におけるホルモン受容体陽性細胞の割合が多いほど,ホルモン療法の効果は高くなります。化学療法を追加するかどうかについては, 腫瘍の大きさ,脈管侵襲(みゃっかんしんしゅう)の有無,腋窩リンパ節転移陽性個数,ホルモン受容体陽性細胞の割合,悪性度(グレード),および増殖指標,患者さん自身の希望(効果が出る可能性があるなら,どんな治療でも受けたいのか,それとも副作用は可能な限り避けたいのか)などを考慮して決めます。保険適用外の検査ですが,多遺伝子検査(Oncotype DXなど)の結果を参考にする場合もあります。
▶局所進行乳がん(ステージⅢB,ⅢC)
乳房表面の皮膚や胸壁(きょうへき)にがんが及んでいる,炎症性乳がん(☞Q31参照)となっている,鎖骨上リンパ節にまで転移が及んでいる,などの場合は,からだのどこかに微小転移を伴う可能性が大変高いので,薬物療法を主たる治療手段と考えます。薬剤の選択は,前項の術後薬物療法の選択とほぼ同じです。薬物療法を行った後に,乳房のしこりや腫れていたリンパ節が縮小した場合には,手術や放射線療法などの局所治療を追加することを検討します。
▶遠隔転移を伴っている乳がん(ステージⅣ)
この場合は,転移乳がんとして全身治療を行います。治療の目的,流れについては,Q41を参照してください。原発病巣に対しては,疼痛,出血,感染などがある場合には,手術,放射線などの局所療法を行います。